ジュリオ・グラツィオッティは、テニスからパデルに転向した多くの選手の1人です。25歳のイタリア人は、ローマで家族が所有するテニスクラブでテニスをしながら育ちました。しかし、パデルの人気が急激に増してくるにつれジュリオもパデルに触れて楽しむようになり、プロテニスプレーヤーのキャリアを諦めてパデルに熱中するようになりました。
「10、11年前にパデルに出会いました。私の家族が所有しているクラブにパデルのコートを作ったのです」と、プロトーナメントに出場しているリトアニアから、バボラのインタビューに答えてくれました。「パデルが急成長を遂げているのを見て、3面のコートを作りました。もちろん、今ではさらに増えています。イタリアでパデルは好調に成長していますから」
パデルに興味を持ち、プロとしてのキャリアを歩むことを決めたのはずっと後のことです。「3年前(2021年)、テニスのプロになるのを諦め、家族のクラブでテニスインストラクターになりましたが試合に出たかったので、パデルを真剣にプレーし始めました。スペインに移住してトレーニングを重ね、短期と長期の目標を定めました」
その目標の1つがイタリアのナショナルチームの一員になることでした。それは2022年にドバイで開催されたワールドパデルチャンピオンシップで現実となったのです。「とても光栄なことでした。イタリアのためにプレーすることがずっと夢でしたから」と彼は言います。
ジュリオはすぐにパデルトーナメントの雰囲気に魅了されました。テニスで経験していたものとは全く異なっていたのです。「テニスのトーナメントでは、どのプレーヤーも自分のルーティンや体調、試合にとても集中していますが、パデルは対照的でパデルではまったく異なる雰囲気を感じました。状況が違っていて、パフォーマンスにそれほど集中していなかったのです」
彼のプレーのレベルが上がるにつれ、取り巻く環境も良くなっていきました。「スペインやアルゼンチンなど他国を研究してきたイタリア人コーチが、私たちが世界のトップクラスに追いつけるようコーチングスキルを高めてくれています。現在では、私を含めツアーにフルタイム参加し、世界トップ20~30を除くすべての選手と対等に渡り合えるイタリア人プレーヤーが多くいます」
世界中、特にイタリアでパデルが著しい成長を遂げた背景には、さまざまな要因があります。まず、参加者が最初から楽しむことができるスポーツだということ。「4人の初心者でもパデルの楽しさを満喫できます」とジュリオは言います。「いろいろなショットを試してみたり、ガラス張りの壁をうまく利用する方法を学んだり、コートの外でスマッシュを決めたり、テレビで見るショットを試すだけでいいのです。 パデルはテレビで本当にうまく宣伝されていて、パデルの魅力を広めるため、世界最高のプレーヤーたちを支援しています」
「さらにローマのフォロ・イタリコでは、ASローマの元キャプテンであるフランチェスコ・トッティとパデルで対戦するイベントが開催されました。トッティはローマでは伝説のプレーヤーで、私自身もASローマの大ファンです。このイベントのおかげで、本当に多くの人がパデルに注目したのは素晴らしいことです」
ジュリオは現在トップ200にランクインしていて、1年のうち35週間も世界を飛び回ってランキングを上げ、さらに夢を叶えるためのポイントを狙っています。「2023年は、イタリア代表としてクラクフで開催されたヨーロピアン・ゲームに出場しました。いつかパデルがオリンピック種目になることを願っています。2028年のロサンゼルス大会で実現されるといいのですが。パデルはオリンピックにふさわしいと思います。美しいスポーツですし、オリンピックで『アズーリ』の一員になるのが私の夢です」
※バボラ契約選手はカスタマイズされたラケットや写真とは異なるモデルを使用している場合があります。